生活と暮らし#生活の投稿(71)
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地元を離れるということは
いろいろと覚悟は必要で。 母親から久しぶりに、しかもめったにない着信。 父が手術するとのこと。 簡単だし念のための手術だから 心配いらないけど、一応ね、の知らせ。 ここでの生活も ここで子供を育てていることにも不満はないし 幸せだけど なにかあった時 のこの距離は 地元を離れることの最大のデメリットだと思う。 大好きな祖母が亡くなったときも看取ることはできず。 何度か見舞いにも行って、 102歳まで立派に生きてくれて たくさん一緒に過ごせた思い出があったから 後悔はなかったけど 最後の時間が一緒にいられなかったのは 寂しくてこの距離を唯一恨んだなあ。 今回は簡単な手術。 でも歳を取っていけば病気もするし 便りが来たのは何かあった時 になることもありうるわけで。 その覚悟で来たけど どこでもドアがあればこんな問題一瞬で解決なのになあ、とほんと思う。 幸い妹が親の近くにいて 何かあってもすぐ見に行けるから まだ良いけれど そうじゃなければもっともっと悩んで、 大変なこともたくさんあったろうなあ、と思う。 必要な移住とはいえ、犠牲はつきもの。
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難病闘病記。⑤
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持っている。 次の受診で入院希望の旨を主治医に伝えると、どんどん話を進めてくれた。今あちらに、同じ大学病院で勤務していた同僚の先生がたまたまいるらしく、あれよあれよという間に翌年1月に1週間の検査入院が決まった。そこで脳波をとり、今の病気の状態を確認して、その後の予定を決めるようだった。 「多分、検査の後、薬の調整ってなると、結構時間かかるから長期間入院になると思います。」 「えっ、だ、大体どれくらいの期間とかあるんでしょうか??」 「うーん、、、ほんと人によるから明言するのは難しいなぁ、半年以上入院してる人とかもいるって話だけど。調整が上手くいかなければもっとかかるかもだし。」 知らない土地の病院に、、半年もいるの、、?!えぇぇ、行きたくなくなってきた。。と思ってしまった私。 毎日家の事、仕事、育児をやりつつ、気づいたら退職日になっていた。2か月で辞めるなんて不義理もいいところだが、同僚や先輩はお手紙、プレゼントを温かい言葉とともに渡してくれた。お世話になった上司からは大きな花束までもらってしまった。その場では気恥ずかしさが勝ってしまい泣かなかったが、帰りの車内では前が見えなくなるくらいまで涙が溢れてしまって、近くのコンビニの隅っこの駐車場でしこたま泣いた。悲しいのか悔しいのか、感情はもうぐちゃぐちゃだった。 そして息子は私が仕事をやめる少し前に保育園を退園。最初で最後の保育園生活。楽しかったのかな。私の知らない所で嫌な思いもしたのかな。お喋りは出来ないので、連絡帳の中での先生の言葉でしか分からないけど、楽しい時間が過ごせたのだと思っている。 また年が明けた。来週には、私たちは静岡へ旅立つ。不安や期待、色々なものが混ざりあった心境だった。その日が来るまでは、日中家で2人きり。実母が心配で毎日来てくれて、見てもらっている間に荷造りをしたり日々の家事をこなし、忙しい日々を過ごした。 そして出発前日の夜になった。 続く
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