灘中高国語科教諭が伝える国語の新常識“教科書や受験から読書につなげるには?”
教育環境が複雑化する中、「国語」を取り巻く状況が今、大きく変化しています。これからの時代に求められる「一生ものの国語力」が身につく! まったく新しい国語入門。
教育
教科書や受験から読書につなげるには?
受験では「換言」と「補足」を要する文章が選ばれる
自分だったら絶対に読まない本や作家との出合いがあるので楽しい作業なのですが、実際に授業で扱う際には部分を切り取らざるを得ません。
ひたすら前後の文脈から切り取られた文章を読み続けることって、SNSのX(旧Twitter)などの投稿文を読むことにも似ていますよね。深く考えなくても目の前の文章だけに集中していればよくて、その作家が本当に言いたかったことはどうでもよくなってしまいます。これに慣れると怖いなと思います。
ではどこを切り取るかというと、読み手の言語リテラシーを評価できる部分になります。
たとえば、国語の場合は、文章のある部分に傍線を引っ張って「どういうことか」と要約させるわけですが、要約の肝というのは、換言(言い換え)と補足(付け足し)なんですね。傍線を引っ張られて「どういうことか」と聞かれたら、その傍線部自体をほかの本文の言葉を使って言い換えなければいけない。
さらに、そこに「~ので」とか「~から」とか、「~ため」「~によって」など、聞かれてもいないことを補いながら説明しなければなりません。
つまり、国語の入試の出題文には、「換言」と「補足」を要するような文章が選ばれるわけです。
抜き出すだけで説明がつくような文章だけでは問題にならないのです。「こんな文章、読み取れなくていいよ」と子どもに何度か言ってしまったこともあります。
「どういうことか」と聞かれるまでもなく、多くの人が1回読んでわかる明快な文章で書いてくれればいいのに。
入試特有のあの変わった文章の論理や表現に慣れすぎてしまうと、世界標準の論理力からはかけ離れてしまう懸念があります。
国語の文章から視野を広げる
そういう作品を読んでみると、現代の作家は本当にすごいと思います。
メディアでは取り上げられないような貧困などの社会問題を深く掘り下げていて、一体どこで取材してきたのだろうと驚くほどにリアルに描写していますよね。
親も含めて知らない世界や知らない時代に触れる機会をつくってくれています。
大人数クラスの場合、一人の教師に対して子どもが40人。
その子どもたちが自分を相対的に考える鏡が、一人の先生しかいないわけです。
自分以外の子どもも鏡になり得るではないかと思われるかもしれませんが、私立の場合は同質性の問題があり、家庭環境も学力も似ている子が多い。
そうですね。ダイバーシティや同質性の話にもなりますが、それらにメスを入れるのが国語の文章です。
時代も地域も環境も全く違う作家が、子どもが全く知らないようなテーマで書いているわけですから、それらの文章から視野を広げ、自分という一個の人間を知るきっかけにすることができます。 ただし、検定教科書では「このテーマはだめだ」とか「この表現はだめだ」などとかなり削ぎ取られています。古典にしても性的な描写が多いと取り除かれます。ですから、自分たちは限られた視野の中で選ばれた文章を読まされているんだ、ということを意識することも大切で、受験はそのことに気づくきっかけになります。
とはいえ、その受験の素材文ですらだいぶ選ばれていて、その前後の文章を読めば「こんな表現があったのか」という気づきがあるので、ぜひ、入試問題や国語の教科書で出合った文章の元の作品全体を読んでほしいですね。
インターネット上のニュース記事も同様です。アルゴリズムによって、自分が興味のある記事がおすすめで示されたり、SNSのタイムラインに見ず知らずのアカウントの情報が流れたりしてきます。
選択肢そのものが、他者によって限定されているのです。
灘中学校・灘高等学校 国語科教諭。
神戸大学大学院国際協力研究科博士後期課程 単位取得退学。文学修士(学校教育学)。2013年より現職。灘中高での本務のほか、学外においても「国語科教育論(大阪大学・神戸大学)」「IB教育の理論と実践(立命館大学大学院)」を担当している。専門は国際バカロレア(IB)教育をふまえた教科教育学。高校国語科教科書(東京書籍)の編集委員のほか、「NHK高校講座 現代の国語」(Eテレ)では監修・講師も兼任している。著書に『メディアリテラシー 吟味思考を育む』(分担執筆、時事通信社)、『国際バカロレア教育に学ぶ授業改善』(共編著、北大路書房)、『これからの国語科教育はどうあるべきか』(分担執筆、東洋館出版社)など。
教育情報サイト「ReseMom(リセマム)」編集長。
記事の内容がよかったら「イイね!」ボタンを押してね