灘中高国語科教諭が伝える国語の新常識“国語力とは?”
教育環境が複雑化する中、「国語」を取り巻く状況が今、大きく変化しています。これからの時代に求められる「一生ものの国語力」が身につく! まったく新しい国語入門。
教育
国語力とは?
国語の力とはどのようなものなのでしょうか。
学校では国語力を集団の中で育んでいきますが、国語力の成長は他人との比較を通して相対的に見取っていくものではなく、個人の言語能力の成長という視点で捉えるべきだと考えています。
小学校で学ぶ国語という教科は、学校教育法などの法令によって時間数や単位数が定められ、その内容も学習指導要領によって規定されています。
児童が使っている国語の教科書もまた、こうした法的な規制の中で作成されているのです。
学校ではこのような法的体制を理解している人間、つまり教職課程を修了し教員免許状を持つ人間が教壇に立つわけですが、私たち学校教員が日ごろこのような制度としての国語科の枠組みの中だけで国語科教育を行っているかというと、決してそういわけではありません。
国語科は言語の教育を主としています。
しかし言語の獲得は、たとえば食べ物を「まんま」、親を「パパ・ママ」と呼ぶように、就学する前から家庭で始まっていますし、学校を卒業してからも社会生活の中で積み上げられていきます。
このように、言語は学校という狭い世界を超えて、私たちの日常生活のすべての体験や認識に関わっているのです。
人間は言語を通じてなされた認識を、ほかの人間とコミュニケーションを通じて共有し発展させながら「世界の中の自分」を自らの手でつくっていくものですが、こうした社会的な言語の力の育成は、個人の力だけで成し遂げられるものではありません。そこに学校教育や家庭教育の意義があります。
子どもが目の前の物や出来事を認識するとき、そこには必ず言葉が介在します。もちろん学校教育がなくとも、ある程度の言語能力があれば日常的なコミュニケーションや表面的な認識はできるでしょう。
しかし、一つひとつの認識を深め、言語体験を振り返り、いわば文化遺産や伝統文化としての言語を高度なレベルで理解していくためには、場当たり的で自己流の言語学習では限界があります。学校や家庭での意識的な学習が不可欠になってくるのです。
このように国語科は、学校という狭い場所で、あるいは小学校6年・中学校3年・高校3年という限られた期間の中だけで意味をなす言語能力の育成を目指しているわけではありません。
学校教員も、教育制度上の事項を児童生徒個々に当てはめていくという視点で教育にあたっているのではなく、子ども一人ひとりの個別具体的な言語の力に寄り添いながら、生涯にわたって活用できる言語能力を育んでいくという使命を念頭に教育に従事しているのです。
子どもたちが日本語の持つ特質や、日本の伝統的な言語文化を理解しながら、言語能力や感性を豊かにするためにはどうすればいいか。
また、私たちは、言語的知識やその運用に関する技能を育み、それらを効果的に使いながら生涯にわたって世界との交流を広げていく学習者を育むために何をなすべきか。こうした問いを抽象論にとどめるのではなく、家庭(や学校)という現実の場で実現していく―これが本書のテーマの一つになっています。
灘中学校・灘高等学校 国語科教諭。
教育情報サイト「ReseMom(リセマム)」編集長。
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