人間関係#先生の投稿(40)
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難病闘病記。⑤
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持っている。 次の受診で入院希望の旨を主治医に伝えると、どんどん話を進めてくれた。今あちらに、同じ大学病院で勤務していた同僚の先生がたまたまいるらしく、あれよあれよという間に翌年1月に1週間の検査入院が決まった。そこで脳波をとり、今の病気の状態を確認して、その後の予定を決めるようだった。 「多分、検査の後、薬の調整ってなると、結構時間かかるから長期間入院になると思います。」 「えっ、だ、大体どれくらいの期間とかあるんでしょうか??」 「うーん、、、ほんと人によるから明言するのは難しいなぁ、半年以上入院してる人とかもいるって話だけど。調整が上手くいかなければもっとかかるかもだし。」 知らない土地の病院に、、半年もいるの、、?!えぇぇ、行きたくなくなってきた。。と思ってしまった私。 毎日家の事、仕事、育児をやりつつ、気づいたら退職日になっていた。2か月で辞めるなんて不義理もいいところだが、同僚や先輩はお手紙、プレゼントを温かい言葉とともに渡してくれた。お世話になった上司からは大きな花束までもらってしまった。その場では気恥ずかしさが勝ってしまい泣かなかったが、帰りの車内では前が見えなくなるくらいまで涙が溢れてしまって、近くのコンビニの隅っこの駐車場でしこたま泣いた。悲しいのか悔しいのか、感情はもうぐちゃぐちゃだった。 そして息子は私が仕事をやめる少し前に保育園を退園。最初で最後の保育園生活。楽しかったのかな。私の知らない所で嫌な思いもしたのかな。お喋りは出来ないので、連絡帳の中での先生の言葉でしか分からないけど、楽しい時間が過ごせたのだと思っている。 また年が明けた。来週には、私たちは静岡へ旅立つ。不安や期待、色々なものが混ざりあった心境だった。その日が来るまでは、日中家で2人きり。実母が心配で毎日来てくれて、見てもらっている間に荷造りをしたり日々の家事をこなし、忙しい日々を過ごした。 そして出発前日の夜になった。 続く
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難病闘病記。④
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持っている。 病院から帰宅した。くたくたの中、昼食を息子に食べさせ昼寝をさせる。夜に旦那が仕事から帰宅し、すぐ話をしてみた。 「遠いなー。とは思うけど、やっぱり子どものためだからなぁ。今より良くなるなら行くか。次の受診は先生とも話したいし、ついて行くわ。」 旦那は歳がいってから生まれた自分にそっくりの一人息子を溺愛している。かわいい息子のためならなんでもしてあげたい、そんなパパ。まぁ頼もしい限りである。そして多分そういうんだろうな、と思っていた。付き添いや世話や投薬はもちろん全部私だが。 私は仕事に復帰して2か月が経とうとしていた。業務自体はもう6年くらいやっていたので慣れてはいたが、1年以上も家にいたら体力は落ちる。6時間勤務の間、座れるのは休憩時間の1時間くらい。忙しいと休憩も短くなる。復帰初日は足がパンパンになってしまった。そして、静岡に入院となると、多分仕事を辞めないといけない。復帰して、子の入院ばかりで2か月の間満足に出勤出来た試しがなかった。ずっとお世話になっていた上司に相談したら、介護制度的なもので長期の休みが取れないかと色々模索してくれたが、その上の役職の方に、「親の介護とかならね、長期休暇の対応もできるけど。子供の看病ってなると長期休暇に該当する制度ないんだよね。申し訳ないけど。」 復帰後たった2ヶ月で退職が決まった。なんかやるせなくなって、車の中で号泣しながら帰った。 退職が決まってから色々憂鬱な日を過ごした。 続く
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難病闘病記。③
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持っている。 しばらくは何事もなく通えた。送って行った時は泣いていたのがとっとと教室に行くまでに成長した。そして、“保育園あるある”がついにやってくる。 そう、周りからたくさん風邪をもらってくる、あれだ。 普通の子なら免疫を毎回獲得し、どんどん強い体になるが、息子は風邪を引いて熱を出す度に大事になる。1日保育を始めて職場復帰した月に救急搬送2回、両方とも入院数日、その翌月もまた入院、、、。幸い、ママに優しい会社であり、ママの立場の方がたくさんいた職場だったので、表立って非難されることはなく、復帰したては保育園から連絡くるもんだよ、風邪ももらうしね!大丈夫!と先輩ママが励ましてくれた。今思えば、いい職場だった。 11月のある日、運動会があった。息子はかけっこと、ダンスをした。小さな体で、おぼつかない足ですっごく頑張っていた。途中で私を見つけ、駆け寄ってきた。すぐに連れ戻されて思わず笑ってしまった。保育園では最初で最後となる運動会。息子の勇姿を動画や写真にたくさん撮った。色々思い出して辛くなるので、いまだにこの運動会の写真や動画が観れない私。 同じ月に、小児科へ受診する機会があった。 今までは赤十字病院へ通院していたが、担当の先生が大学病院勤務のため、それに伴い受診先も大学病院になった。行くだけで疲れてしまうくらい病院は遠くなり、若干憂鬱だった。 そしてその受診中、主治医から提案があった。 「息子君は発作も頻繁だし、首がかくんとなったりする小発作も今の薬じゃ抑えきれてない印象で、こちらでは限界もあるので、県外の専門の病院に一度入院して検査や脳波やりつつ薬を調整したほうがいいかもしれない。旦那さんとも相談してみてね。」 「その病院って、近くにあるんですか?」 「えっとねー、静岡!」 今の私たちの住まいは北関東。静岡、昔一回だけ行ったな。え、まあまあ遠いな、、どう行くんだ、、?? 続く
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長女が帰りのバスに乗ってないぞw
今日は下2人が発熱しちゃっていたので保育園に行けず、そんな状態の下2人を車で長女の幼稚園まで連れ回すのも可哀想なので、潔く朝から仕事は諦めて、長女も14時のバスでお家に帰してもらうように手配していた、、ハズであった! バス停にバスが帰ってきて愕然。なぜか長女がバスに乗っていないぞ?wあれ?どんくさいから置いていかれたの?そんなこと、あるわけないよね?笑🤣 真相が分かってまたまたびっくり!担任の先生が今日は長女が預かり保育だと勘違いしてしまっていて、あえてバスに乗せなかったとのこと。そうか、人間だからね、そんなこともあるよね! いやぁしかし、絶不調な下2人を車に乗っけて幼稚園まで長女のお迎えに行くの、なかなかお辛かったなw生理2日目というのもあったのかもだけど笑!ホント、今日ほどどこでもドアが欲しいと思ったことはないわ🤣❣️笑笑 きっと明日はいいことあるわ🥰✨✨w
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