生活と暮らし#家の投稿(580)
-
難病闘病記。④
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持っている。 病院から帰宅した。くたくたの中、昼食を息子に食べさせ昼寝をさせる。夜に旦那が仕事から帰宅し、すぐ話をしてみた。 「遠いなー。とは思うけど、やっぱり子どものためだからなぁ。今より良くなるなら行くか。次の受診は先生とも話したいし、ついて行くわ。」 旦那は歳がいってから生まれた自分にそっくりの一人息子を溺愛している。かわいい息子のためならなんでもしてあげたい、そんなパパ。まぁ頼もしい限りである。そして多分そういうんだろうな、と思っていた。付き添いや世話や投薬はもちろん全部私だが。 私は仕事に復帰して2か月が経とうとしていた。業務自体はもう6年くらいやっていたので慣れてはいたが、1年以上も家にいたら体力は落ちる。6時間勤務の間、座れるのは休憩時間の1時間くらい。忙しいと休憩も短くなる。復帰初日は足がパンパンになってしまった。そして、静岡に入院となると、多分仕事を辞めないといけない。復帰して、子の入院ばかりで2か月の間満足に出勤出来た試しがなかった。ずっとお世話になっていた上司に相談したら、介護制度的なもので長期の休みが取れないかと色々模索してくれたが、その上の役職の方に、「親の介護とかならね、長期休暇の対応もできるけど。子供の看病ってなると長期休暇に該当する制度ないんだよね。申し訳ないけど。」 復帰後たった2ヶ月で退職が決まった。なんかやるせなくなって、車の中で号泣しながら帰った。 退職が決まってから色々憂鬱な日を過ごした。 続く
-
難病闘病記。②
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持っている。 緊張が解けない日々を送っていた。何とか年を越した。その頃から息子の体がピクン、と跳ねるような動作や、うとうとしている時のような首を前にガクン、と落とす動作が増えた。おもちゃで遊んでいて首カックンが起きると毎回おでこを強打して大泣き。毎日のようにおでこにはアザやキズ、腫れがあった。とてもかわいそうだった。発作もあるので片時も目が離せなかった。ほぼ家の中で過ごす毎日だった。 3月に1歳を迎えた。それまでも月に1、2度くらいのペースで発作を起こし救急搬送され、1日から数日入院する日々が続いた。 私は1年で職場に復帰する予定であったが、入園予定の保育園に息子の状態を相談したところ、半年ほど入園を見送る形となった。職場にも育休延長の申請をした。育休の社員が私以外にも何人かいて、人が少なくなり迷惑をかけてしまう結果になったが、上司は快く承諾してくれた。 そしてしばらく通院していた赤十字病院の主治医が異動される事になり、週に1度、大学病院から来られている先生に担当してもらう事になった。小児の脳神経専門の先生で、患者の話を親身になって聞いてくれる優しい女医先生だったので、色々と心強いな、と当時は思ったものである。 色々なてんかん薬を試した。が、なかなか症状は改善せず、体調を崩し発作が出ると長時間止まらず、毎回救急搬送。首カックンや体のピクつきも全く治らず、薬の相性が悪いと体のふらつきも増えてしまう。そんな日々を過ごしていたら、あっという間に保育園入園の日になっていた。 少し前に軽く今の病気の事や症状などの打ち合わせをしていて、当日の登園自体はスムーズに行った。知らない先生に抱っこされた息子は去っていく私を見ながら大泣き、私は後ろ髪引かれる思いをしつつ、久々の1人の時間を堪能した。しばらくは短時間保育で慣らし、だんだん1日保育を目指していけたらいいなと思っていた。 続く
ログインありがとうございます。
0ポイント獲得