発達/発育の投稿(606)
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難病闘病記。③
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持っている。 しばらくは何事もなく通えた。送って行った時は泣いていたのがとっとと教室に行くまでに成長した。そして、“保育園あるある”がついにやってくる。 そう、周りからたくさん風邪をもらってくる、あれだ。 普通の子なら免疫を毎回獲得し、どんどん強い体になるが、息子は風邪を引いて熱を出す度に大事になる。1日保育を始めて職場復帰した月に救急搬送2回、両方とも入院数日、その翌月もまた入院、、、。幸い、ママに優しい会社であり、ママの立場の方がたくさんいた職場だったので、表立って非難されることはなく、復帰したては保育園から連絡くるもんだよ、風邪ももらうしね!大丈夫!と先輩ママが励ましてくれた。今思えば、いい職場だった。 11月のある日、運動会があった。息子はかけっこと、ダンスをした。小さな体で、おぼつかない足ですっごく頑張っていた。途中で私を見つけ、駆け寄ってきた。すぐに連れ戻されて思わず笑ってしまった。保育園では最初で最後となる運動会。息子の勇姿を動画や写真にたくさん撮った。色々思い出して辛くなるので、いまだにこの運動会の写真や動画が観れない私。 同じ月に、小児科へ受診する機会があった。 今までは赤十字病院へ通院していたが、担当の先生が大学病院勤務のため、それに伴い受診先も大学病院になった。行くだけで疲れてしまうくらい病院は遠くなり、若干憂鬱だった。 そしてその受診中、主治医から提案があった。 「息子君は発作も頻繁だし、首がかくんとなったりする小発作も今の薬じゃ抑えきれてない印象で、こちらでは限界もあるので、県外の専門の病院に一度入院して検査や脳波やりつつ薬を調整したほうがいいかもしれない。旦那さんとも相談してみてね。」 「その病院って、近くにあるんですか?」 「えっとねー、静岡!」 今の私たちの住まいは北関東。静岡、昔一回だけ行ったな。え、まあまあ遠いな、、どう行くんだ、、?? 続く
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旦那と三女の不良ごっこ
先日、久しぶりに早く帰ってきた旦那が楽しそうに三姉妹に遊んでもらっていた。何をしてるのかな?と思ったらどうやら不良ごっこw長女と次女はおまわり👮軍団で、旦那と三女がちょいワルの不良らしいw三女がノリノリでワルの役をしており、哺乳瓶片手にヨタって歩きながら旦那のお財布を発見!お財布からお札出し始めたw旦那は気にせず『うちの親分、ワル中のワルなんでぇ、仲間の財布からもお金盗んじゃうんすよぉ〜流石っすよねぇへっへっへ!』とか言ってる。そして続けて『ここいらで親分、一発やっときます?白い粉?スッ!!(白い粉を鼻から吸うマネを始めたw)』 いやいやいや。。。まず、財布からお札抜き取るのはいけないことだから注意してくれ!そして変なごっこ遊びするのまじでやめてくれ〜子どもがいらんことばっか覚えるやんか、、旦那よ、久しぶりに居ると思ったらまじでろくなことしないな😇💦
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難病闘病記。②
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持っている。 緊張が解けない日々を送っていた。何とか年を越した。その頃から息子の体がピクン、と跳ねるような動作や、うとうとしている時のような首を前にガクン、と落とす動作が増えた。おもちゃで遊んでいて首カックンが起きると毎回おでこを強打して大泣き。毎日のようにおでこにはアザやキズ、腫れがあった。とてもかわいそうだった。発作もあるので片時も目が離せなかった。ほぼ家の中で過ごす毎日だった。 3月に1歳を迎えた。それまでも月に1、2度くらいのペースで発作を起こし救急搬送され、1日から数日入院する日々が続いた。 私は1年で職場に復帰する予定であったが、入園予定の保育園に息子の状態を相談したところ、半年ほど入園を見送る形となった。職場にも育休延長の申請をした。育休の社員が私以外にも何人かいて、人が少なくなり迷惑をかけてしまう結果になったが、上司は快く承諾してくれた。 そしてしばらく通院していた赤十字病院の主治医が異動される事になり、週に1度、大学病院から来られている先生に担当してもらう事になった。小児の脳神経専門の先生で、患者の話を親身になって聞いてくれる優しい女医先生だったので、色々と心強いな、と当時は思ったものである。 色々なてんかん薬を試した。が、なかなか症状は改善せず、体調を崩し発作が出ると長時間止まらず、毎回救急搬送。首カックンや体のピクつきも全く治らず、薬の相性が悪いと体のふらつきも増えてしまう。そんな日々を過ごしていたら、あっという間に保育園入園の日になっていた。 少し前に軽く今の病気の事や症状などの打ち合わせをしていて、当日の登園自体はスムーズに行った。知らない先生に抱っこされた息子は去っていく私を見ながら大泣き、私は後ろ髪引かれる思いをしつつ、久々の1人の時間を堪能した。しばらくは短時間保育で慣らし、だんだん1日保育を目指していけたらいいなと思っていた。 続く
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難病闘病記。①
うちの息子、現在4歳の年中さん。 見た目は完全健康優良児。だが4万人に1人の難病を持って生まれてきた。 もし子どもが同じような症状で悩んでる人がいて、その力になれたらと思い日記形式で書いてみる。 3315gで生まれた息子は、ミルクをよく飲む元気な男の子。寝返り、首座り、お座り、離乳食も大体の月齢くらいに進められた。普通に育っていくものだと思っていた。 最初の異変は、7ヶ月の時。11月中旬の寒い日。隣の市の市民病院に受診していた時だった。待合室で急に泡を吹き、痙攣を始めたのだ。しかし幸いにもそこは病院。小児科もあり、すぐ対応してもらえた。痙攣は50分ほど止まらなかった。止まってからしばらく様子を見てもらい、もしかしたら熱性けいれんかも、と言われ、痙攣止めと解熱剤の座薬をもらって帰宅。帰宅したら38℃ほどあったので、私も熱性痙攣と疑わなかった。翌日には解熱。しばらく普通の日常を過ごした。 2回目の痙攣は、翌月中旬。 お風呂から上がってしばらくしたら震え出したので主人が寒いのかとこたつに入れて様子を見ていた。 私はその間お風呂に入っていて、出て見たらぐったりしていて目の焦点が合わず、主人が震えだと思っていたのは痙攣だった。 人生初の救急車を呼んだ。そのまま入院。 熱はなかった。また1時間近く痙攣。 2.3日で退院したと記憶している。そのあとはしばらく搬送された赤十字病院に通院し、もしかしたらてんかん?という事で、抗てんかん薬を処方された。 脳波を取ったり、CTを撮ったり、採血したり点滴したり…1歳にも満たないのにこんな痛い辛い思いをさせてしまうなんて、と当時は病んだ。 初めての育児がこんなハードモードだとは思わなかった。外で幸せそうな家族連れをみるたびに涙で視界が歪んだ。いつ発作が起こるか怖くて外に出られなくなった。てんかん発作を起こし付き添い入院をする度に体も心も疲弊した。 ②へ続く。
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