偏見が子どもに与える影響

日々の質問が子どもの未来を育む「子どもの日常を知的な刺激で満たしていますか?」

教育

人文教育専門家。
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子どもの人生に影響を与える親の「偏見」

悪口は3人を殺す。 悪口を言う者、言われる者、聞く者。

 ――― ミドラシュ

ある日、幼児教室で、講師を務める知人を待っていたときのことです。

とある幼稚園児が非常に衝撃的なことを話していました。

子どもたちがレッスンを終えて送迎バスで帰ろうとしたところ、 送迎バスの中年ドライバーが遅れたそうなのです。

すると、ある子が友だちに「歳を取るとろくなことしないね」と言ったというのです。

私はショックでしばらく動けませんでした。

講師である知人に話したら、知人はさらに驚くべき話を聞かせてくれました。

「それ、その子の母親がよく言ってるんだよ」

親から見れば、習い事や塾に通っているのは子どもですが、実際に教室に来ているのは子どもではなく親だともいえます。言葉や文章をはじめ、子どものすべての態度から親の姿がそのまま見えるからです。

幼い子どもが「ろくなこと」という言葉を使いこなすのは難しいでしょう。

では、なぜ知っているのでしょうか?

おそらくその子の親は家で、年老いた自分の親などと電話で話した後、無意識のうちに「歳を取るとろくなことしないね!」と吐き捨てるように言っているのでしょう。

その言葉を覚えてしまった子どもは、似たような状況に遭遇し、迷うことなく口にしたわけです。そうやって子どもは、自分でも気づかないうちに非難ばかりする大人になっていくのです。

この本で最初に言いたいことは、お父さん・お母さんが自分の言語習慣をきちんと認識し、それが子どもにどんなに大きな影響を与えているのか考えた上で、お子さんに身につけてほしい言葉を自身の生き方を通して示してほしいということです。

大人は子どもの前で、すぐに感情や意思を表現します。

もちろんお手本となるような言葉もありますが、時には「そんなことを言って大丈夫?」と思うほど偏見に満ちた言葉を吐くこともあります。

「よく覚えておいて。あの人は悪い人よ」

「そんな子とは遊んじゃダメ」

誰にでも偏見はあります。

問題は、親が「あなたもそうしなきゃダメ」と偏った考えを子どもに押し付けるところから始まるのです。

そのような態度は、子どもという生まれたばかりの小さな可能性を、自分の思い通りに動く奴隷と見なしているのと同じです。

子どもの感情と態度を親の思うままに動かしたり、勝手に決めたりしてはいけないのです。

親の偏見を日々聞かされている子は、その家庭の中では良い子に育ちます。

少なくともその家庭の「ルール」さえきちんと守れば問題が起きないからです。

でも、家の外ではどうでしょうか。

世の中にはたくさんの意見が存在します。

ある所で「悪い人」といわれている人が、別の所では「いい人」といわれることもありますし、また別の場所では「将来が楽しみな人」と考えられることもあります。

その人に対する見方と、その人が置かれている環境によって、評価が異なってくるからです。

しかし、偏見という「確定の言語」を聞いて育った子は、親に押し付けられた考え以外に別の考え方をすることができません。

「それだけが正しい」と思い込んで生きているからです。

このような子たちが外の世界に接したら、どんなことにぶつかるでしょうか?

親に注入された考えと他の人の考えが異なるということに気づき、混乱して途方に暮れてしまうでしょう。

理解できないことが繰り返し起きて、自己肯定感も希望もすべて失い、社会に溶け込むことができず、自分の殻に閉じこもる子になるかもしれません。

「自分で考えない」という日々を送っているうちに、子どもは消極的になり、挑戦することをやめ、与えられたことだけをこなしながら生きていく人間になります。

自分の知らないことはすべて誤ったことであり、新しいことは自分をダメにすると考えて生きるようになるのです。

何がこのようなむごい結果を招いたのでしょうか?

それは、世の中に対する親の憎悪と偏見が原因なのです。

世の中や人に対する憎しみは、親が教えなくても子どもが自然に経験します。

しかし、つらいことに何度も挑戦し、不可能でも可能性を信じる態度は、子ども自身ではなかなか習得できません。

そのような生き方を身につけさせるために、親には子どもを励ます賢い態度とテクニックが必要です。

ここで私たちは「一生懸命やった」と「上手にできた」の違いを認識する必要があります。

これは親自身が認識する必要があるので、ご自身に問いかけてみてください。

「『一生懸命やった』という言い方と、『上手にできた』という言い方、何が違うのか?」

明確な答えが出るまで考えてみましょう。

子どもの成長とチャレンジ精神、向上心を左右する質問ですから、今まで以上にじっくり考えてみてください。

「一生懸命やった」というのは主観的な表現です。

誰も自分のことを「私は本当に上手にできた」とは言いません。

「上手にできた」というのは客観的な表現だからです。

もちろん、上手にやることも大切ですが、まず子どもが身につけるべきなのは、「一生懸命やった」と自分を前向きにとらえる態度です。

ですから、親は子どもが何かを始めるとき、意識的に「頑張ってみようか?」と前向きな言葉で軽く励ましてみましょう。

「上手にできるよね?」という表現は良さそうに思えますが、子どもにとってはプレッシャーになります。

子どもにとっては不可能に挑戦することだけでも十分に難しく大変なのです。

もしもあなたが他人のことを、やみくもに非難したり恨んだりしているなら、今後は何かを始める前に「頑張ってみようか?」と自分に声をかけてみましょう。

常にそのような前向きな態度で新しいことに取り組めば、挑戦を楽しむ日常を送れるようになりますし、いつか本当に好きなことに出合ったとき、最善を尽くすという精神が芽生えるでしょう。

親がそのような態度を示せば、子どもは自然に親をまねるようになります。

もう憎悪と偏見で世の中を見つめるようなことはなくなり、自分の取り組んでいることや周りの人を愛する協調性が身につくはずです。

PROFILE

人文教育専門家

キム・ジョンウォン

多様な年齢層に人文学を大衆化させるために活動するコンテンツ・ディレクター。 「子どものための一日一行人文学」(未邦訳)で韓国の親たちの信頼を得ている。 韓国では子供の頭脳はもちろん、人性まで発達させる韓国を代表する教育専門家として認められている。

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