「感情リテラシー」をはぐくむ――赤ちゃんの泣き声と感情リテラシーの発達

「自分の感情に気づく」「他者の気持ちを想像する」「気持ちを言葉で伝える」といった、感情に関する基礎的な力を育むことは、単に感情の安定をもたらすだけでなく、今の時代を生きる土台となる。世界でも注目のSEL(社会性と感情の学習)と感情リテラシーの育て方について第一人者が丁寧に解説。

発達/発育

法政大学文学部心理学科教授。教育学博士
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子どもの激しい怒りに直面したとき、私たちはつい感情的に反応してしまいがちです。しかし、その怒りの中には「わかってほしい」「寂しい」という切実な思いが隠れていることが多々あります。
本書は、そんな子どもの本音を読み解き、感情に関する基本的な力「感情リテラシー」の育て方を丁寧に解説します。 渡辺弥生著書の『怒っている子どもはほんとうは悲しい 「感情リテラシー」をはぐくむ』から一部転載・編集してお届けいたします。

赤ちゃんの泣き声と感情リテラシーの発達に関する論考

ここまで、数章にわたって、心理学とは異なる領域から、「感情リテラシー」を捉えてきました。

この数年、私自身が常に「感情を耕す」ことの意義と、その耕し方に関心を持っていたからです。

何かが解決されたわけではないですが、この本を手に取った方が、どこかに関心を持って、またエビデンスを開拓していただけたらと思います。

この章では、心理学、特に自分の専門分野である発達心理学からの知見をお届けしたいと思います。

さて、突然ですが、赤ちゃんの泣き声って、すごい迫力だと思いませんか。

赤ちゃんの泣き声だけは、どんなモノマネ芸人でも真似をしているところは見たことがありません。

いろいろな国に出かけましたが、どこの国でも、赤ちゃんが泣いているのが聞こえると、「あ、赤ちゃんだ!」と思います。

そう、赤ちゃんの泣き声は、迫力があります。

誰もが「どうにかしないと」と思いますし、ついついかまってあげたくなる、可愛らしい泣き方でもあります。

この赤ちゃんの声は、これまで主に、感情や身体状態を表わす生理的サインとして研究されてきました。

しかし近年では、それを単なる反応的行動としてではなく、人間における「感情リテラシー」の発達基盤として捉える視点が注目されています。

生後間もなく始まるあの大きな泣き声は、「疲れた!」「痛いよ!」「空腹だ!」「不快だぞ!」など、多様な状態を直感的に伝えるものです。

この泣き声は、単に音量が大きいだけでなく、音高や音量の細かな変化や、振幅、声質の違いなどを通じて、子どもの内的状態を豊かに表現しています。

たとえば、「ずり上げるよう」な泣き方は、そのときの身体的・情動的状態を反映し、同時に、周囲の大人に「読み取らせる」ためのコミュニケーション手段となっていると思われます。

こうした声に養育者が反応し、対話が始まることで、言語や社会性の基盤が形成されます。

このやりとりは、感情を言語に置き換える経験、感情を聞き取る態度、相手の状態を読み取る力の出発点であり、「感情」の萌芽だと考えられます。

赤ちゃんと養育者の間で交わされる、泣き声を介したコミュニケーションは、非言語的ながらも豊かな意味を持ち、感情の理解・表現・共感の力を育む土壌となるのです。

赤ちゃんの泣き声に共通性があるという研究も増えてきています。

また、ビルギット・マンぺら(2009)は、新生児は親の声を他の人の声より好み、親の話し方(マザリーズ)に含まれるイントネーションの輪郭を通して、伝えられるメッセージの感情的な内容を知覚することを示唆しています。

さらに、生物学的素因に基づく音声学習を通じて、新生児の泣き声の旋律は、周囲の言語の調子(プロソディ)によって異なってくるとして、ドイツとフランスの赤ちゃんの泣き声の違いを指摘しています。

また赤ちゃんは、生まれてすぐから声の調子(プロソディ)に敏感で、人の感情を感じ取る力を持っていると示唆する研究もあります。

この研究では、妊娠35~40週の範囲の妊娠週数に基づいて6群に分類された120人の新生児を対象に、声の感情を聞き分ける力がどのように発達しているかを調べました。

赤ちゃんには、「幸せそうな声」と「普通の声」を聞かせ、そのときの脳の反応を測定しました。

37週に達した赤ちゃんからは、「幸せそうな声」と「普通の声」を区別している証拠が見つかりました。

これを「ミスマッチ反応」と呼び、大人の脳にもみられる反応の初期的なものです(Xinlin Hou et al.(2024))。

これらの研究を見ると、赤ちゃんの泣き声自体がどのように感情リテラシーの獲得と関わっているかという発達についての研究もあれば、赤ちゃんが感情について、いつ頃からどのように環境から学んでいるかについての研究もあり、さまざまなことが研究されていることがわかります。

最近では、赤ちゃんの泣き声を音響的に分析し、AIによって分類・意味づけする研究も進んでいます。

これは、感情を見えるようにする(可視化)、データとして捉えられるようにする(定量化)ことを通じて、育児支援や発達支援に貢献しうる、新しいアプローチだといえます。

加えて、音楽学や音声学の分野では、赤ちゃんの泣き声を記譜する試みも行なわれています。

泣き声には、音高、リズム、強弱、持続時間といった、音楽的要素が内包されており、これを楽譜化することで、情動の可視化と理解の手がかりになると考えられるからです。

私も以前、赤ちゃんの泣き声を楽譜に記譜できないかと考え、周囲にいる音楽的才能のある方々に頼んでみたことがあるのですが、赤ちゃんの不規則な声帯の振動を含む泣き声は、従来の五線譜だけでは表現が困難だと考えられるとのことでした。

泣き声は連続的であるのに対して、楽譜に記譜するためには、音が安定していないとならないからだそうです。

グラフィック譜や表情記号(espressivo,agitatoなど)を併用することができると、その情動的意味がより豊かに伝達されると考えられています。

赤ちゃんの泣き声が持つ象徴的意味には、文化的にも面白い側面があるようです。

たとえば、赤ちゃんの泣き声には「ラ(A4)」に相当する約440mの周波数成分が多く含まれることが知られており、これは1939年の国際会議において、クラシック音楽の基準ピッチとして採用されています。

赤ちゃんの声を基準に音楽のピッチが決められたという事実は、泣き声が持つ普遍性と象徴性の一端を物語っているのかもしれません。

このように赤ちゃんの泣き声は、単なる生理的反応にとどまらず、音響的・情動的・文化的・社会的に、多層的な意味を持つと思うと、とても不思議です。

それを聴き、理解しようとする行為そのものが、「感情リテラシー」の出発点であり、人間の社会的発達の基礎といえるようにも思われます。

今後の研究においては、泣き声の記譜や、音響分析の手法を活用した教育的・臨床的応用の可能性がさらに拓かれていくでしょう。

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法政大学文学部心理学科教授。教育学博士

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