子供にとって毒か薬か「人間の脳と生成AIの違い」

生成AIと人間の言語システムには、決定的な違いがある─それにもかかわらず、今、言語習得過程にある子どもたちに「おしゃべりする生成AI」が手渡されようとしている。2児の父でもある言語学者が、切実な危機感を込めて警鐘を鳴らす。

教育

慶應義塾大学言語文化研究所教授。国際基督教大学訪問研究員。
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なぜ「それっぽい」のか?

ひと言でまとめると、生成AIと人間言語は、その学習に使用するデータの「質」も「量」もまったく異なるのです。

「じゃあ、なんで現在の生成AIは、まるで人間が話すかのように話せるの?」という疑問が飛んできそうです。ひと言で答えるとすると「なんでだかは、よくわからない」なのですが、もう少し詳しくお話ししましょう。

この疑問に対する答えについては、田口善弘先生による『知能とはなにか〜ヒトとAIのあいだ』(二〇二五年、講談社現代新書)の中で重要な洞察が展開されているので、興味がある方は、ぜひご一読をお勧めします。

この本の趣旨を簡単に抽出しますと、

①人間の脳は、現実を脳内で再現することで理解している(=脳は現実世界のシミュレーターである)。

②そして、生成AIも現実を再現(シミュレート)するものである。

③ただし、人間の脳と生成AIでは、再現するために使っているシミュレーターのメカニズムが別ものである。

となります。①に関して補足すると、「人間の脳は、現実世界をそのままの姿で認識しているわけではない」という事実が重要です。

田口先生はこの点を説明するために、「古典力学」と「量子力学」の対比を用いています。人間が世界を認識する際、その仕組みは、古典力学的な枠組みに基づいています。

具体的に言うと、人間は「物が存在するか、しないか」という二分法で世界を捉えます。

「そんなの当たり前だろう」という声が聞こえてきそうですが、現代の量子力学の洞察によれば、物の存在は「確率的」にしか記述できないそうです。

観測されるまでは、ある粒子が「ある場所に存在する/しない」という形ではなく、複数の可能性が重なり合った状態(重ね合わせ)にあるのです。

ところが、人間の脳はこのような量子力学的な世界をそのまま捉えることはできません。

私たちの認識は、「確定的」な枠組みに縛られており、「確率的」な現実のあり方を直接的に把握することはできません。

つまり人間の脳には人間の脳なりの世界の理解の仕方があるのです。

しかし、その「理解」は「現実そのもの」ではない、というのが重要な点です。

量子力学的な世界をそのまま認識できる宇宙人がいたとして、その宇宙人が人間を観察したら、当惑するかもしれません。

この人間の脳の特徴は、言語の観点からも同じことが成り立ちます。

例えば、日本語は子音のあとには、ほぼ必ず母音がきます。

例えば、「た」は[t]と[a]のかたまりで、「ぬ」は[n]と[u]のかたまりです。

日本語においては、母音があとに続かない子音は「ん」だけです。

そんな日本語母語話者は、子音が連続する[ebzo]という音が聞こえてくると、それを[ebuzo]と、二つの子音の間に母音[u]を勝手に補完して認識してしまいます。

日本語母語話者の脳は、[ebzo]と[ebuzo]を区別できない、という実験結果すらあります。

このように、人間の脳は「現実を自らが理解できる形でシミュレートしているもの」なのです。

人間の脳と同じように、生成AIもその内部で、何かしらの形で現実世界を再現しているようです。

ただし、「人間と生成AIが同じ方法を用いて世界を認識している確率はとても低い」というのが田口先生の見解です。

同書の主張のまとめとなる部分を引用すると、「生成AIは現実と見まごう会話や映像を作りだすが、それは決して内部に同じ現実を実現しているということではなく、計算機で扱えるような、しかし、現実をかなり正確に再現できるシミュレーターを作成しているに過ぎないのである」と述べられています(p131)

本書に関連して肝となるのは、生成AIは「人間のように文を理解し、発せられるようになった」わけではなく、なにか別のメカニズムによって、「文を理解し、発せられるように見えているだけ」ということでしょう。

生成AIは、人間のような知性を獲得しているわけではありません。

私たちが打ち込んだ文の意味を「理解」しているわけでもありません。

ただ、「こういう文章に対しては、こう返すべし」という「確率情報に基づいた応答」が極めて上手だということです。

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慶應義塾大学言語文化研究所教授。国際基督教大学訪問研究員。

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