自ら学びだす育て方!「子どもに自分だけの美しさに気づかせよう」

塾なし・公立校から3人の娘全員をハーバードに送り出した母親が 実際に行っていた家庭教育とは?

しつけ/育児

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子どもに自分だけの美しさに気づかせよう

違うから美しい

わが家のアメリカ生活は、ケンタッキー州の小さな田舎町から始まった。

ケンタッキーと聞いて初めに連想するのはきっと「ケンタッキーフライドチキン」だろう。KFC発祥の地だ。

有名な都市にルイヴィルがあり、1時間半ほど行くとレキシントンだ。

そこからさらにハイウェイで30分ほど走ると、*南珍ナムジンの歌「あなたと一緒に」の歌詞に出てくる「あの青い草原の上に絵のような家を建て」を彷彿とさせる風景が目の前に広がる。

その青く広がる芝の上で、有名なケンタッキーの馬たちが映画の一場面のように駆け回る。

そんな草原を過ぎると、ウィルモアという田舎町に辿り着く。

夫は、そこにあるアズベリーという神学校に留学した。

ヘミンはアメリカに着いた次の日から幼稚園に入った。

幼稚園の初日、スクールバスのバス停に行くと、そこには黒い肌をした健康そうな女の子がいた。

エナという子だった。

ヘミンはエナを見るやいなや、笑顔でぎゅっと抱きついた。

エナはもちろん、私もびっくりした。

東洋人の女の子が思い切り感情をむき出しにしたことに圧倒されているようだった。

のちに知ったことだが、エナもここに留学に来た両親について、ケニアから来たのだった。

彼女は英語を早くマスターしたため、現地の子のようにアメリカに来たばかりで英語ができない友達をからかったり、いじめたりしていたそうだ。

そうやってエナにいじめられた子が何人かいた。

そんなエナはヘミンと初めて出会って驚いたようだったが、それは2人がベストフレンドになる始まりでもあった。

遠くアジアからやってきた東洋人の子と、同じく遠いアフリカから来た子が抱きしめ合う光景を見ながら、ここがまさにアメリカなのだと思った。

多くの白人の先生と、肌の色もさまざまな子どもたちが交じり合う姿が、とても美しく見えた。

*1946年生まれの韓国の歌手。1965年にデビューし、1970年代に全盛期を迎えたが、現在も現役で活動している。持ち歌はトロット(韓国演歌)からロックンロールまで幅広い。

名前を変えたからといってアメリカ人になれるのか

ある日、ヘミンが幼稚園でやってきたドリルを見ると、「ローズ」という名前が書いてあった。

最初は他の子のものと間違えて持って帰ったのかと思いヘミンに聞いてみると、自分のものだと言う。

「でも、どうしてローズなの?」と聞くと、「自分でアメリカの名前を付けたんだよ。先生も、私が好きな名前を使ってもいいって」と答えた。

その瞬間、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。

アメリカで過ごすうちに、「自分も友達のようにアメリカ人になりたい、名前を変えればアメリカ人のようになれる」とおさなごころに思ったのだろう。

ローズという名は薔薇のように美しいけれど、「恵民ヘミン」、つまり「恵みのある賢い民」という韓国らしさとキリスト教的なアイデンティティを兼ね備えた名前を捨ててまで、アメリカ式の名前を選ばないといけないのだろうか?

私はそのとき、多くのローズのなかにあっても親が名付けた「ヘミン」の名前を守り、美しく輝かせてみせようと決心し、子どもにアイデンティティを守る大切さを教えようと思った。

私の教育哲学で一番重要視することは、自分の子どもたちが他の子との違いを認めながら、1人ひとり違うことがどれほど美しく、よいことかを、自ら気づかせることだからだ。

ヘミンが幼稚園に入園して半年も経たない頃、特技を披露するタレントショーの案内文を持って帰ってきた。

ヘミンは勇敢にも、自分もステージに立ちたいと言う。

一緒に留学していた韓国人の子たちは、誰も出ないというのに。

それもそのはず、全園児と先生や親の前に立つのは、かなりの度胸が必要だろうからだ。

その日、タレントショーが終わって帰宅したヘミンは、日記にこう書いた。

「ママが、とても上手だったと褒めてくれて、ピアノの本を入れるバッグを買ってくれると言った。とてもうれしかった。次はもっと頑張って、ピアノを買ってもらおう!」

ヘミンはアメリカの小さな田舎町で、白い肌、青い目の聴衆たちの視線を一身に集めながら、華やかな韓服を着てステージに立った。

楽譜も見ずに夢中でピアノを弾く、堂々とした東洋人の少女の姿を想像してみてほしい。

当時、ヘミンは5歳。

会場から湧き上がる拍手と驚きの目は、今も忘れられない。

PROFILE
韓国でキリスト教教育で修士学位を取得した後、同じ大学で神学を学んでいた夫と結婚。夫の留学を機にアメリカに移住。アジア人移民は社会的にはマイノリティーであり、さらに牧師の家庭だったため経済的にも苦しかったが、入試コンサルティングはもちろん、塾にも行かせず、一般の公立学校に通った3人の娘全員をハーバード大学に入学させた。三姉妹がハーバードに合格したあとも「私はごく平凡な人間で、特別なところは一つもない。すべて子どもたちが成し遂げたことだ」と述べ、多くを語らなかったが、本書で初めてそのストーリーを惜しみなく公開。子どもの教育や育て方に関する講演を活発に行いながら、多くの親の悩みを聞いて共感し、読者一人ひとりと目を合わせるような温かいメッセージを伝えようとしている。

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