中学受験はもう古い!?「公立中学の経験は将来活きる!」
令和の受験・学歴事情を知り尽くすプロが明かす中学・高校受験の真実がここにある!
教育
公立中学の経験は将来活きる
私自身は公立中学出身で、公立中学出身の経験が今に生きていると感じることがあります。
また公立中出身でその後難関大に進まれた方に話を聞くと、「中高一貫校に行っておけばよかった」というような後悔は聞かず、「地元の公立中に行ってよかった」「あの時の経験が今に生きている」と聞くことが多いです。
巷で言われがちな、公立中学校に進むと不幸になるので中学受験をした方がいい、という言説は正しいのでしょうか?
「荒れた公立中学校」はほんの一部でしかない
そもそもなぜ教育熱心な親御さんから公立中学校が敬遠されがちかというと、公立中学校には学力レベルが高くない生徒、不良やヤンチャな生徒が多数いて、学級崩壊していたり、不良度で学校内のヒエラルキーが定まっていたりと、勉強をしたい人には向いていない環境であるというイメージがあるようです。
これは多少は正しい側面もあるのかもしれませんが、多くは週刊誌などのメディアに誇張された表現であると感じます。
というのも、私が通っていた公立中学校で、不良が多すぎて学級崩壊などということはありませんでしたし、公立中出身者に話を聞いても、不良っぽい学生はいてもごく少数か、全くいなかったと聞くからです。
メディアが誇張しがちな「荒れた公立中学校」像は、ごく一部の治安が悪いエリアの、ごく一部の学年を大きく取りあげたりしている結果でしょう。
ただ学級崩壊像こそ誇張とはいえ、公立中学校時代に多様な同級生がいたことは事実だと思います。中学を出てそのまま働く人もいましたし、地元の高校から専門学校を出て地元で就職するような人もいましたし、難関大に受かって首都圏に移住してそのままエリートサラリーマンになった人もいます。
高校以降はある程度の進学校と言われている高校に入ったので、「いい大学を出て、いい企業に入ろう」という画一的な価値観を持った知り合いが多くできましたが、中学時代はそんなことはありませんでした。
公立は社会の縮図
早稲田大学を卒業し大手銀行に入社、その後退職し塾業界で起業という自分の経歴を振り返って思うのは、公立中学校にいた人々こそ「社会の縮図」になっていたなという点です。
どういうことかというと、早稲田を出て大手銀行に入るような人は、みんな学生時代の内申点が高く、そこそこ名の知れた大学に通い、なんとなくサラリーマンになることが当然という価値観で生きているようですが、社会全体で見るとそのような価値観は一つの生き方でしかないということです。
起業をしてみると、雇われが向いておらず事業主になったという人にもたくさん出会いましたし、塾で起業をするとなれば、顧客として「いい大学を出て、いい企業へ」というステレオタイプの価値感を持っている人だけでなく、「勉強が嫌いで、なんとか授業についていっている」人たちのことも当然視野に入れる必要があります。
社会で生きていくにあたって、大学以降に出会った学力的に恵まれた人たちだけでなく、公立中学校時代の様子を体感としてリアルに思い出せるのは、自分の強みであると感じます。
公立中学校出身者に話を聞くと、私のように「仕事をする上で公立中学校時代の経験が生きている」と言う人もいますし、仕事など関係ないプライベートな側面で、中学時代の友人との関係がかけがえのないものになっていると言う人もいます。
例えば私の友人のTさんは、早稲田大学を出た後、大手銀行を突然退職し、地元の中学校が同じで幼なじみでもある、中卒で働いている方とシェアハウスで暮らしています。
Tさんは中卒で働いている友人の存在もあり、大手銀行で働くことは一つの選択肢でしかないと相対化され、やりたかったフリーランスの仕事に挑戦するなど、柔軟な人生を送れていると言っています。
中高一貫の私立校を出て、難関大学に入って、大手企業で働くのが当然の環境で育ってしまうと、そのような価値観が固定化されてしまい、大手銀行のキャリアを大胆に変更するといったことに抵抗が出てしまうのではないでしょうか。
中高一貫校で画一的な価値観を刷り込まれて迷いなく生きていくのもいいのかもしれませんが、私は公立中学校での経験を通して、世の中には「いい大学を出て、いい企業」だけではない、多様な生き方があるのだと体感として知っている人生の方が豊かなのではないかと感じています。
学歴研究家。じゅそうけん合同会社代表。
記事の内容がよかったら「イイね!」ボタンを押してね