精神科医が伝える!発達障害も愛着障害もこじらせない――精神科臨床での不登校への対応

学校

精神科医。川崎医科大学精神科学教室准教授、同附属病院心療科副部長。
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その生きづらさの背景にはグレーゾーンの発達障害や愛着の問題があるかもしれない――。するする読めて、臨床の解像度が上がる一冊。
村上 伸治の著書『発達障害も愛着障害もこじらせない』から一部転載・編集してお届けいたします。

精神科臨床での不登校への対応

不登校の子どもが精神科を受診することはよくある。

だが、学校へ行かないことだけが受診理由であることは少ない。

不登校だけでなく、身体症状や精神症状があるために受診する例が大半である。

身体症状を伴う場合は、まずは小児科などを受診し、身体疾患は否定的だとして精神科受診を勧められて受診する例が多い。

そして精神的な症状の場合は、不眠とかまったく元気がないとか昼夜逆転とか、逆にイライラするとか自傷や暴れるなどが主訴となりやすい。

そういう意味で、精神科臨床の場に現れる不登校の子は「不登校+アルファ」があり、そのアルファが困るために受診するパターンだと言ってよい。

筆者は大学病院の精神科で診療をしており、子どもから高齢者まで幅広く診ている。

子どもでは小学生もたまに診るが、大半は中高生である。

そのような精神科臨床現場での不登校について考えてみたい。

そのため、精神科に現れない不登校の子どもについては筆者は詳しくない。

以下に述べる筆者の考えは、近年増加の一途を辿っている不登校全体に言えるとは限らないことをご承知いただきたい。

身体症状

不登校は身体症状で始まりやすい。

朝起きるとお腹が痛い、吐き気がする、頭が痛いなどの症状を呈するパターンが多い。

朝はちゃんと起き、朝食も普通に食べるのだが、食後トイレに入るとなかなか出てこられないというパターンもある。

そのため、「学校へは行きたいのだが、体調が悪いから、学校へ行けない」という形になる。

血液検査だけでなく、胃カメラなど詳しい検査を受ける子もいる。

血圧を測ると低血圧があり、起立性調節障害の診断を受けたり、血圧を上げる薬をもらっていたりもする。

これらの診断は間違ってはいないのだろうが、それを治療することで元気になり、登校できるようになった例を筆者はほとんど知らない。

内科的治療で登校できるようになれば精神科には来ないと思われるので、これは筆者が出会っていないだけなのかもしれない。

身体の症状がしっかりあると、精神的な症状は背景に隠れやすい。

だが精神的な症状を尋ねていくと、精神的には元気ですという子はまずいない。

週末や連休、夏休みなど、登校圧力が弱まる時期は身体症状も精神症状も軽減しやすい。

これこそが、精神的な側面があることを意味する。

そして、紆余曲折を経て最終的に精神的に元気になった頃には、体の症状はなくなっているのが普通である。

精神的なストレスによって起こる症状には意味や機能がある。

不登校に伴うさまざまな症状は「本人を守るために出ている症状」だと考えたい。登校することがあまりにも苦しく、登校を続けると心身が壊れてしまいそうなため、身体症状を繰りだすことで、本人を守ろうとしている。

子どもは精神的なストレスが身体に出やすく、登校が無理な状態だと周囲の大人が最も納得するのは身体症状であるからである。

一方、精神的なしんどさがそのまま精神症状として現れ、まったく元気がない、生気がないなどのため、登校が無理だと周囲の大人が感じるようになれば、徐々に精神症状が前景となり、身体症状の役割は主役から脇役になっていく。

そういう意味で、身体症状も精神症状も、本人が相当に追い詰められていることを示している。

身体症状は「身体が悲鳴をあげている」と筆者には感じられる。

そして、精神症状は「心があげている悲鳴」そのものである。

本人の気持ち

身体症状は本人の気持ちを身体が代弁しており、精神症状も心を代弁している。

学校に行けない理由は本人もわからないことが多く、気持ちの苦しさが言葉で直接説明されることはなかなかない。これが子どもの臨床では重要だが厄介でもある点である。

「不登校の子は我慢が足りないのだ」と言う大人が時にいるが、それは逆である。

不登校の子は全員「我慢強い子」と言ってよい。

文句言いの子であれば、限界に達するより前に文句を言い始める。

すると、親も問題に気づくし、文句言いの子は言葉にするのが比較的上手なので、いきなり不登校とはなりにくい。

だが、我慢強い子は何が苦しいのかわからぬままひたすら我慢する。

だからやがて限界を超えるのだと考えたい。

不登校の子がのちに元気になってから、「あの頃の学校に行けなかったのはなぜだったと思う?」と尋ねると、「今でもよくわからない」と答える子がほとんどである。

不登校が長期になると、さまざまな不利益が生じるのは本人もよくわかっており、「学校に行っておけばよかった」と述べる子も時にいる。

だが、「なら行けばよかったじゃないか」「だから厳しく言って行かせればよかった」と考えるのは適切ではない。

「あの頃って、頑張れば行けたと思う?」と尋ねると、「理由はよくわからないけど、あの時は無理だった」とほとんどの子が答える。

「頑張れば行けたのかもしれない」と答える子もいるにはいるが、この言葉もそのまま受け取るべきではない。

うつ病で休職している人が「私がもっと頑張れば、休まなくても何とかなったと思うんです」と述べるのと同じように理解するべきであろう。

ほとんどの子は「なぜ行けないのかはわからない」のであるが、子どもたちは何も感じていないわけではなく、自身の気持ちを結構言葉にしてくれる。

子どもたちがよく教えてくれる言葉を以下に列挙してみる。

「朝起きて一階に降りると、お母さんが僕の顔を覗き込む。今日こそは行くんじゃないかと期待している。けど無理だとわかると、お母さんがため息をつく。それを見るのがつらい」

「お母さんもお父さんもイライラして、夫婦ゲンカが増えた。私のせいだ」

「お母さんが僕のせいで落ち込んでいる。悪いなと思うけど、どうしようもない」

「おまえのせいだって、お母さんがお父さんに怒られて泣いている」

「あんたの育て方が悪いって、お母さんがおばあちゃんに嫌味を言われているのがかわいそう」

「お兄ちゃんと比べられる。それが嫌だ」

「最近お父さんが、腫れ物に触るような言葉遣いをするのがイラっとする」

「お母さんの私への言葉遣いが不自然でキモい。スクールカウンセラーに言われた通りに言うんだと思う」

「お母さんが好きだった趣味を辞めた。不登校の子がいるのに何しているの?って思ったのかもしれない」

彼らは家族の言動を実によく見ている。

学校に行けない理由を直接尋ねても、本人にもわからないことが多いし、尋ねられること自体が苦痛になっている子は多い。

だが、自分の気持ちを尋ねるのではなく、他人を観察するように尋ねる形だと、いくらか情報は得られやすい。

授業中と休み時間ではどっちが苦しいか、普段の授業の日と行事の日では苦しさは違うか、ある科目の授業は少し楽とかすごく苦しいか、そうであれば科目による違いか教師による違いか、などを尋ねたい。

気持ち自体をあれこれ尋ねるのは負担になりうるが、観察者としてどうかを尋ねるほうが負担は少ない。

例えば、尋ねるうちに、グループ学習の時が一番しんどいとわかったりすることがある。

無理の累積としての不登校

親や教師などの大人から見ると、不登校はある時ふと始まったと感じられやすい。

「2学期から行かなくなりました。どうしてなんでしょうか?」「不登校この子が多いのは聞いてましたけど、どうしてうちの子が不登校になったんでしょうか?」などと述べる親は多い。

突然の不登校ではなく、不登校になる前に行きしぶりの時期がみられる例は結構あるが、「行きしぶることはありましたが、なだめたら何とか行くので、どうにかなると思っていました」「行きしぶることが見られ始めたので、担任の先生に相談しましたが、学校では元気そうにしていると言われました」などと述べる例も多い。

一方、本人に話を聞くと、「不登校が始まるまでは元気だった」と答える子は少ない。

「頑張って行ってたけど」と語る子が多い。

つまり、不登校の多くは、急に始まったように見えても、何らかの無理が長期に累積し、ある時限界を超えて不登校が始まっている。

不登校となる何らかの具体的なきっかけがある例も結構ある。

だがそういう場合も、元気だった子に大きな原因が生じたために起きた不登校なのか、それとも長い無理の累積に小さなきっかけが加わって限界を超えたのか、どちらなのかを考える必要がある。

元気な状態に具体的なきっかけが加わったもので、それが対応可能であれば対応すべきであろう。

だが実際には、そのきっかけが解決しても、やっぱり行けないという例は多い。

例えば、風邪やインフルエンザなどで数日休んだことをきっかけに不登校が始まる例は少なくない。

これなど、すでに限界に近い状態になっていて、風邪などが体力と気力を落としたために限界を超えたと捉えるべきである。

運動選手の疲労骨折をイメージするとよい。

骨折の主因はその日の練習ではなく、すでに骨折寸前の状態になっていたからだと理解すべきである。

最後のひと押しと、主な原因とは分けて考える必要がある。

そして、累積した無理が何なのかを考えていく必要がある。

原因がわかる不登校

不登校の原因ははっきりしないことが多いと述べたところではあるが、原因がわかる例もある。

大人が気づかないいじめを受けていたなどの、誰でも納得がいく例もあるが、この場合は精神科に来ることは少ない。

結構多いのは、発達障害特性を持っていて、例えば聴覚過敏があり、クラス替えで騒々しいクラスとなり、その騒々しさに耐えられなくなったとか、いじめというわけではないが、対人関係の問題があり、周囲は特に問題だと気づいていないが、本人にとっては大きな苦痛になっているなど、本人の特性が関係する例である。

なので、登校しぶりが始まったとしたら、短期的にはなだめながら行ってもらうのもありだが、並行して解決可能な原因がないかを探してみる必要がある。

幼児期から発達障害に気づかれ支援学級に在籍しているような例であれば、担任と連携して原因がわかるなど、対応がしやすいだろう。

だが、発達障害特性に親が気づいていなかったり、発達障害を指摘されたが支援学級に入るほどではなかったので、親としては「治ったから普通扱いすればいいんだ」と思っているなどの例だと、対応可能な原因があるのに、対応がなされていない例はしばしばあるように感じる。

休んでもらう

上記のような原因がわかる例ではなく、不登校の大半を占める、原因がよくわからない例に筆者がどのように対応しているかを以下に述べてみたい。

身体症状や精神症状がしっかりある例では、それは悲鳴だと考え、頑張らせることは避け、休んでもらうしかない。

その際に重要なのは、休める環境を作ることである。

そしてできれば、その環境について本人を交えて話し合うようにしたい。

医師などが休む必要があると話しても、親は内面では納得していないことが多い。

すると、「学校をサボっている」という親の気持ちが顔や態度に現れるので、学校を休んでいるのに気持ちは休めない、というパターンになり、こじれていく。

しばらくののちに親が本当に休ませるしかないと悟った頃には、相当にこじれていて、休んでいても心は休めないことになりやすい。

休む以上は、「インフルエンザで高熱を出していると思って」休んでもらいたい。

最近は「新型コロナ後遺症みたいなもので、慢性の倦怠感が長期に続く状態だと思ってください」と説明することもある。

実際に休む路線に入ると、12時間以上眠るような時期がしばらく続く例も少なくない。

親が不登校を責める雰囲気がなくなると、昼夜逆転は起きにくい。

朝は一応普通の時間に起こすという方法はよいが、本人を交えて話し合って行いたい。

最も重要なのは、慢性疲労で学校に行かない状態を親が受け入れ、責める雰囲気をなくすことである。

家で常にプレッシャーを感じ、親に気を遣い、それに消耗している子は大変多い。

家にパワハラ上司がいるような状況では、休む効果はいつまで待っても出てこない。

著者

精神科医。川崎医科大学精神科学教室准教授、同附属病院心療科副部長。

村上 伸治

1989年岡山大学医学部卒業後、岡山大学助手、川崎医科大学講師を経て、2019年より現職。専門は青年期精神医学。
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