算数ができる子になる親のかかわり方
発売即重版となった前作モンテッソーリ第2弾!
教育
幼児期の「算数的知育」のゴールは言葉で情景を説明できるようになること
「幼児に算数を教える」としたら、みなさんは何から教えますか?
算数の勉強と聞いて、まっさきに思い浮かぶのは計算だと思います。
そして、「スタート地点でつまずいてしまわないように」と、幼児期のうちから公文などの教室に通わせたり、おうちで計算のドリルをたくさんやらせたりするご家庭があります。
じつは、この計算の先取り学習は諸刃の剣。
スタート時点では「できる」という自信になるように思えますが、長い目で見ると、算数が苦手になってしまうこともよくあるからです。
計算と算数は別のもの。幼児期から計算ができるからといって、将来算数が得意な子になるとはかぎりません。
ただ「計算という作業をしているだけ」ということもたくさんあるからです。
その違いは「数の概念がわかっていて、それを言葉で説明できること」なのですが、見た目には「計算ができる」だけに見えます。
ここが幼児の成長の面白いところであり、むずかしいところでもあります。
わかりやすい例をあげると、計算はできるけれど、文章題になるとミスが多い子。
「車は時速何kmで走っていましたか?」という問いに対し、何の疑問も持たずに「時速500km」などと、現実的にありえない数字を書いてしまいます。
こういう子は、数字をただ公式に当てはめているだけで、「その状況は絶対にありえない」と気づくことができません。
つまり、「その問いが持っている背景」をまったく把握できていないのです。
算数が得意な子は、「算数的な感覚」が身についています。
それはたとえば「5」という数字を見て、「『5』は『3』より大きくて『7』より小さい」と言葉で言えて、「リンゴが5個」「クレヨンが5本」「友だちが5人」など、日常で触れるものがどんなものかがわかること。
そして、手に持つとどのくらいの量や重さなのか、または持てないくらい大きなものなのかなどの量感を「体感」としてイメージすることができる子です。
これらの感覚は才能や遺伝ではなく、幼児期からの「いろいろなものを見たり、触ったりした体験とその体感」で培われるものです。
この体験が十分にないまま、計算のしかただけを覚えるような先取り学習では、数の感覚は育ちません。
むしろ、「数を使って考える」ことがむずかしくなってしまうのです。
幼児期の「算数的知育」のゴールは、数がスラスラ言えることでも、まわりの子よりも早く計算できるようになることでもなく、「言葉で、自分の考えの背景を説明できるようになること」。
それは、ものごとを考えるときに「○○だからこうだ」と、そう考えた根拠を持っているということです。
算数で言うなら、「自転車で行くと1時間かかる距離だから、車で行けば20分で着くだろう」といった感覚です。
小学校の算数ではそれを計算で表しますが、幼児はその状況を「言葉」で説明できるようになることがゴールです。
簡単に言うと、「4+2」「4-2」「4×2」「4÷2」の答えが言えるより、の式がどういう状況にあるのかを説明できるかどうかが大切。
「2×3」と「3×2」は、計算すれば同じ答えになります。
でも、文章題にしたとき「2つのお皿にリンゴが3個ずつのっている」のと、「3人の人にバケツを2つずつ持ってもらう」のとでは情景がまったく異なります。
それを自分の頭の中で思い描きながら、言葉で伝えることができる。
それが将来「算数が得意な子」になるための出発点です。
モンテッソーリ・ホームレッスン代表。
出版社の編集者として子育てをする中で、モンテッソーリ教育に出合う。「知ることで、育児はぐっと楽になる」をモットーに、理屈ではなく「親が365日おうちで使える」モンテッソーリを提唱している。
講演・講座は常時満席。キャリア・子育て、自分の生き方などの転換期となる子育て世代に対し、すべての悩みを不安からでなく、「自分が本当にしたいこと」からできるようになる講座やワークを提唱。
そのわかりやすさと変化には、モンテッソーリの先生も通うほど定評がある。
趣味は学ぶこと(年間200時間以上)、読書(年間1000冊)、ものづくり。夢は子育てをきっかけに、親子で自分らしく生きる世界を当たり前にすること。
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